三里塚──過去・現在・未来 島寛征さんに聞く

DVDブック『小川プロダクション「三里塚の夏」を観る』刊行記念特別インタビュー! 三里塚・芝山連合空港反対同盟および青年行動隊の中心メンバーだった島寛征さんに、名作ドキュメンタリー『日本解放戦線 三里塚の夏』(小川プロダクション)のカメラマン・大津幸四郎さんが、四〇年の歳月を隔てて、三里塚闘争とはなんだったのかを聞く。話は、地域闘争のあり方、さらには農業のこれからにまでおよぶ。

聞き手:大津幸四郎   構成:鈴木一誌   テープ起こし:永田典子

2012年5月29日公開

戦後の三里塚

大津幸四郎さん(左)+島寛征さん(右)
事務所の窓から見える風景。遠くに昔のままの森が見える

大津 島さんとは、いっしょにかけずり回っていた時期もあって、会えば駄弁(だべ)るんだけど、きちんと話したことがないと思ってさ。小さいとき天浪(てんなみ)にいて、反対同盟のなかでも、若手の最たるものだった島さんは、中央大学のブントの流れだ、という程度の話しか聞いていなかった。かなり前から、島さんの話をあらためて聞いてみたいなと思っていたんです。「おれは沖縄からの開拓の息子だったよ」と言ってたけど、沖縄の記憶はないの?

島 わたしは、東京で生まれたから沖縄の記憶はないんです。親父もおふくろも、東京で学校の教師をしていたので、生まれたのは、御茶の水の病院だった。大学で駿河台へ行くことになって、「ここで生まれたんだ」というのがわかって、懐かしかった。
 親父の話では、東京を焼けだされて、相模原のほうへ疎開したそうです。お寺で共同生活してたらしい。戦争が終わって、大陸や南方から復員してきたり、沖縄から引きあげてきたりで、沖縄出身者のひとたちが集まった。沖縄へもどっても住めた状態ではなかったらしいからね。先遣隊が那須や北海道などいろんなところを探しまわって、たまたま御料牧場が解放されるらしい、というので何人かで乗りこんだ。ちょうど大きな厩(うまや)がひとつ空いていた。二階建てで、皇室の厩だから、人間が住む家より立派なんですよ。最初、五〇世帯くらいが入って、そこを拠点に共同で開墾し始めた。御料牧場は、原っぱか森なんですよね。原っぱは放牧場。深い森は、薪をとったり下草を刈りとるためですね。ここから見える森が境界線でした。

大津 いまでも、森だけが昔のまんま残っている。

島 鍬(くわ)と鎌だけで開墾を始めてね。だけど、うちの親父だけは、江戸川区に勤めてたから、始発バスに乗って、成田駅から京成電車で小岩あたりまで、当時で二時間半くらいかけて通勤していた。定年まで東京で先生やってたんです。開墾農家なんだけど、親父は勤めてて、うちだけおかしい。叔父をはじめ、牧場勤めのひとも多く、日傭(ひやと)いで働いてくれるひとがけっこういたんです。親父の給料でひとを使って、開墾をつづけていた。わたしも、天浪の記憶はあります。

大津 何歳くらい?

島 昭和一七年生まれだから、三歳か四歳ですね。

大津 ぼくが九年だから、八歳ちがい。いまの話ははじめて聞きました。

島 開墾がどんどん増えちゃって、厩に入りきらなくなって、自分の畑と決めたところへ、点々と拝み小屋(丸太を斜めに立てかけてカヤやヨシの葉で屋根・壁を作った簡易な小屋で、手を合わせたような屋根の形からそう呼ばれる)やバラックを建てた。それもいっぱいになっちゃった。親父は、バスの停車場のあるここ(本三里塚)のほうが天浪の奥より学校に通いやすい。天浪から出てきたり、新しい入植者で、この県道沿いに五、六軒、ふたたび開墾が始まった。ここも牧場地だったんですよ。県道の向こう側が、同じ本三里塚でも、宮下(みやしも)という地区です。御料牧場は宮内省の管轄で、ここで仕事をしていたひとたちが、定年退職なんかで牧場の土地を分けてもらって、開墾を始めた。牧場の関係者が土地を与えられてやっていた。だから、この辺一帯が戦後の開墾ですね。ここはもと松林だったんですけど、親父たちが開墾した。
 母親は、ここへ来てなんの経験もないのに一所懸命働いたもんだから、わたしが大学生だった後半に心筋梗塞を起こして倒れちゃったんです。親父は、仕事の合間に畑もよくやりながら、家計のために豚や牛を飼ったり、大変だった。わたしも、東京からちょくちょく帰ってきて、生き物のめんどうを見てたんですけど、そのうち空港問題が起きちゃった。青年団とかの活動が始まって、先輩から「おめぇも、東京の大学行ってんのならビラぐらいつくれるだろう」とか言われて。
 当時、中央大学も閉鎖状態で、学校へ行っても、バリケード張られて入れてくれないし、入れたって、授業があるわけでもなく、なにもやることないんですよ。当時の中大の自治会は、ブント系と言われているけど、たいしたことないんです。それとは別に、文化連盟というのがあった。当時、わたしは絵が好きで、美術部に入って絵のまねごととかやっていました。
 文化連盟という大きなサークルの集合体は、大学から直接活動費をいただける。五〇とか六〇のサークルの文化連盟ですから、全サークルから上納金を集めると膨大なおカネになるんです。わたしは、その文化連盟の事務局をやってました。そこで仕事をしてたから、ビラ刷りなんかは得意なほうだった。
 ブントはもうヨロヨロで、内輪ゲンカばっかりして、ろくな仕事をしなかったように見えました。どちらかというと文化連盟が、自治会にかわって「大学を民主化しろ」とか、学費値上げ反対闘争や学生会館の自主管理闘争をやってた。ブントがそこに張りつき、ぶら下がってた。そこに、地元では空港闘争が起きて、学校がばかばかしくなって、わたしも三里塚にもどることになっちゃったんです。

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  • プロフィール
島寛征 HIROYUKI SHIMA

1942年生まれ。新東京国際空港(成田空港)の建設計画に反対する「三里塚・芝山連合空港反対同盟」に参加。反対同盟青年行動隊の中心メンバーのひとりとして活動。「三里塚・芝山連合空港反対同盟」事務局次長を務めたのち、1982年に辞任。現在は「北総農業センター」で農作物の生産・流通に携わる。

大津幸四郎 KOSHIRO OHTSU

1934年生まれ。映画カメラマン。岩波映画で撮影助手を務めたのちに退社。フリーのカメラマンとして独立。『日本解放戦線 三里塚の夏』(小川プロダクション)、「水俣」シリーズ(土本典昭)、『まひるのほし』(佐藤真)、『ドルチェ――優しく』(アレクサンドル・ソクーロフ)、『チョムスキー9・11』(ジャン・ユンカーマン)など、数多くのドキュメンタリー映画の撮影を担当する。最新作に『大野一雄 ひとりごとのように』(初演出・撮影)がある。